教育

新潮45』にて、性行為、性病の低年齢化の記事を読む。
ゴム(コンドーム)が決して、避妊具としてのみ用いられるのではないこともが述べられている。
出生率の低下がもたらす未来(そんなものが“存在”するのかは知らないが)そんな、社会問題を学習させておいて、性教育(ないがし)ろにされてきすぎた感がある。
表出(あからさまに)されないからこそ、そこに甘美な夢を見ないだろうか。(きっと見ていないだろうが)
それを、くっきりはっきり説明すればよいのではないか。
それが、“己”が“ここ”に“存在する”ことなのだから。


それとも如何だろう。
コウノトリが絶滅する恐れがある程、減少しているから、子供が出来ないのだと、説明してみるか。