敬語の効用

自分が敬語を使う時。
接客する際は必ず敬語を用いる。決して正しい敬語を使ってなどいないだろうが。
尊敬語、謙譲語、丁寧語。
言葉が変るたび、またその意味合いも変ってくる。
今、『敬語』は『“敬”語』として用いられているのか。
自分は正しく活用できたとしても使わない。
『公式の場』であることを示す時。
見知らぬ人と話す時。
殆どがこの場合だ。


“敬う”とは全く逆の意味で使うこともある。
この場合、形式上は敬語を使いながら、心中では軽蔑に近い感情を抱いている時。
卑怯な使い方だろう。
だが、もっとも当り障りがなく無難な対処法だ。勿論、悟られてはならないが。
ただ、危険性が伴うのは、あまりにこの相手が、言葉遣いに対して敏感な時。
謙り過ぎて、二重敬語に陥る可能性が大きいからだ。


もう一つは、ある程度親しい相手でも、距離感を持ちたい時。
現実世界の人間関係において、対人恐怖症傾向の強い自分は、相手が目上であるという理由からではなく丁寧な言葉を使うようにしている。
職場では、まあ、それほど年齢差はないのだが(今の所、上から下まで自分より5歳違いまで)だが、仕事時間外は、タメ語に近い感覚だ。
それが、仕事時間中(少し余裕がある時など)でも、呼称その他でそれがでてしまい、職場の責任者に注意されることがあるくらいだ。
入社したてはそうでもない。
学生時代に部活動を経験していれば感覚は身についていることが多い。
だから、職場でも当然そうだと思って入ってくる人間が殆どだ。
ある程度慣れてくると、今の職場の雰囲気上そうではないと気付くいていく。
初めからタメ語感覚で入ってくる新入社員にはまだ出会ったことはないが(きっと今の時代ではまだ、入社前の面接で落とされるだろう)、それは、自分が入社して決して期間が短い訳ではないのに、入ってくる人間が殆どいないせいではない…と思う。


その反動かどうか、ここで書く文章はぶっきらぼうなものだ。
そして、その副作用が、文体が混同すること。
〜です。〜ます。調と〜だ。調が混在している。