憧れ

言葉遊びの中で、『きしゃのきしゃがきしゃできしゃした』を漢字に変換する。というものがある。この作者は誰なのだろうか。
因みに変換してみたら『貴社の記者が汽車で帰社した』と一発でできた。
この場合、『汽車の記者が汽車で帰社した』としても意味はとおるのだが、やはり全ての『きしゃ』を異なる熟語で当て嵌めたい。


このようなものを、考えるのが好きだ。
『しさいのしさいはしさいのないしさいにききたまえ』
これはチョット突っ込みいれたくなるようなものだが、
『市債の仔細は詩才のない司祭に聞きたまえ』
『私祭の子細は詩才のない司宰に聞きたまえ』
とすることができる。
『子細』と『仔細』は同義。
『市債』と『私祭』、『司祭』と『司宰』は意味は異なるが入れ替えてるだけなので物足りない。
しかし、間に挿入する助詞は少ない方がリズムがいい。
しかも、『詩才のない』は無理矢理入れた感が残る。
『司祭は市債で行う私祭の子細は詩才豊な別の司宰にまかせた』
余分な語句が入りすぎだ。