後悔先に立たず、そして空虚感も

ここ数日涙腺の栓にぽっかり穴があいているらしく、
ちょっとしたことで涙が流れる。
何も無くても、何かを思い出して涙を流している。
書いている隙間からほら・・・・・・。
何もする気が起きないときは何もしなくても良いんじゃないかと思う。
実際それでは成り立たないことが多い。
仕事に行けば、仕事に終われヒトと接して疲れ、忙しさに疲れ、暇なら暇で何か仕事を氏泣ければと探して、どこから手をつけるべきか悩む。
範囲を決められても、自分の作業効率では進むべき場所まで進めない。
休みなら休みでしたかったことはたくさんあったはずなのに、何も出来ず鬱屈する。
先には立たない後悔を、無理矢理先倒ししているような感じ。
けれどそれは先倒しされているのではなく、堪ったものが次から次へとやってくるだけで、決して先立っている訳ではない。その必要もない。


現実が虚構だと思うなら、それに恐れ怯える必要もない。しかし、やはり虚構の現実がそこにあることに、自分が立つ場所の不安定さに、例えれば砂礫の上のように。頭は何も理解してはいない。からだは何も理解してはくれない。


欲しいものがもらえないくて駄々をこねる子供のように、欲しい言葉をかけてもらえなくて、イジケる自分がいて、かといってその言葉がもらえれば満足する訳もなく、望んだのはそれではないと臍を曲げる。
グルグルと。
何回転くらいしただろうかこの臍は、この(はらわた)は、幾度か捻れて正面を向き、その視界を傾げさせた。これ以上絞れない雑巾のように捻れてしまえばいい。