食性

人間はとりあえず、喰えそうなものを喰う。
それは弱い生き物として当然の選択だ。
その中で毒性のものがあり、とてもじゃないけど食に向かないような物も出てくる。
今尚その道は、未知との遭遇に満ち溢れている。
肉を喰い、魚を喰い、植物を喰い、昆虫を喰い・・・・・・。
食べ物の好き嫌いの話題は、かなりの確率で当り障りが無いと云う。
実際自分は、かなり好き嫌いが激しく(嫌いなものがとても多い)が、それによって白い目で見られたことは無い。
この辺の話は『ぼくは偏食人間』(中島義道/著 新潮社)ISBN:4104397024 にも書かれている。
せいぜい、会食をする時に、「あれもこれも食べられなくて可哀相」と言われるくらいだ。
なんと、嫌っておきながら、同情までかけてもらえるのだ。

それとは別に、主義としてたべないものを決めている人たちもいる。
宗教上、また己のモラル上の問題によってだ。
代表的なところで言えば『菜食主義者』が上げられるだろう。
肉類が嫌いならば仕方ないだろう。
けれどある種の『菜食主義者』には自分には不可思議に思えるところがある。
植物だって生きているのではないか。と思うのだが。
もし出会うことが合ったら、その人に、『マンドラゴラ』を引っこ抜かせてみたいと思う。
まだ実物を見たことは無いが。

宗教上については・・・・・・もうお手上げである。理屈なんて通じないのだから。

要は、人間も食物連鎖の中にいるということである。
そこから超越した存在であるなど自分には思えない。
何を喰っても良かろう。
けれど、自分もいつか、何物かに喰われるかもしれないという可能性があるということだ。

ところで、『菜食主義者』の反対は『肉食主義者』なんだろうか。
自分は今まで聞いたことは無いが、何となく不健康そうだ。