人の振り見て我が振り直せ(正せ)

そうは言うけれど中々直すのは難しい。
先日、いつものように通っているゲームサイトに、丸二日ぶりに言って見たら、誹謗・中傷で騒がしくなっていた。
今は、以前のように穏やかに進んでいるが、まだその名残は消えていない。
サイトのゲーム上の相手のことだけなので、相手がどんな人間なのかは、殆ど判断できない。けれど、実際、相手は人間なのであり、『軽い言葉』に傷付くのも人間なのだ。
だからこそ、自分が、誰とも合いたくない、話したくない、一人にして欲しい時は、パソコンにも近寄れなくなる。
チャットなんてもってのほかだ。文字の向こうにどうしても他人が見える。チャットも会話だ。
実際の会話をこなせない自分にどうしてできるだろうか。
改善されると、掲示板くらいまでは覗けるようになり(もちろんROM状態だが)、そえから、ゆっくり考えながら、記入することが出来たりするようにもなる。
他人の怖さ(すなわち)自分が傷つくことへの恐れ。
それが過剰になり、それで相手の痛みが理解(わか)るはずでもないのに自分を傷つけ、また逆に知らず知らずのうちに、というのは怖いから、相手に対しても攻撃的になりすぎたりもする。一応自生はしているつもりだが、それは別の形で爆発したりもする。

感情的になればなるほど、押さえが利かず、自分も同じ愚かなことをしていることさえも気付けない。
他人(伴侶、親兄弟姉妹を含む)に対して、「それは、悪いことなのだ」と注意する権利は、誰にでもあって、誰にもない。
泥棒をした人が、他の泥棒を注意することができるだろうか。
それは、別にしてもよいことだろう。
人殺しをした人間の家に入って泥棒をしたら、『泥棒をした』という罪は軽くなるだろうか。
否。した事に何ら変りはないはずだ。
それでなければ、きっと誰も他人に注意を促すことなど出来ない。
注意をした人に向かって、「お前もやってたことやん」と無視したり、自分が今注意されたことを棚に上げるなどできるはずもない。
例え感情に任せて、そう発言したとしても、後になって、自分の行いを見返さなければ。
それはやはり難しい。
のっけから、自分がやった事をはなから悪いことだと思っていない場合が多いからだ。
見直したところで、穴だらけのそのざるでどうして拾い上げることが出来よう。
自分は完全(ではないかもしれないが)に正しいと思っている。それはその人の考え方だ。
どう変革することも出来ない。
貴方の地球(せかい)は貴方を中心に回っている。
けれど同じように、他人の地球はその他人を中心に回っている。