偏読

どちらかというと、量産型作家よりも、遅筆型作家をも好む。
それにも程はあるが、自分の経済的にもその方がよい。
好きなタイプの物語進行方式があり、どうしても、同じ作家だとその同じ道を辿りがちだが、それはそれでよいと思っている。わざわざ、新境地を開発しなくとも。
そのパターンが好きなのだから。
それは音楽でも似ている。似たようなメロディー、似たような歌詞でも好きなのだから仕様がない。


人物描写が出来ている、出来ていない、といわれることがあるが、自分にとっては、出来ていない方が読みやすい。それは小説であって、事実ではないから。
どうしても、人物描写が馬う、心理が良くかけていると誉められていると、重い気がして読む気になれない。
あと、もうこれは偏見、差別といわれそうなことだが、女性作家は選ばない。例え、自分の好きな作家が褒め称えていても、だ。(その誉め方にもまたよるが)。
だから、どうしても、綾辻行人先生は読めても小野不由美先生も、宮部みゆき先生は読めない。
折原一先生は読めても、新津きよみ先生の本は読めない。
女性心理の書き方がやはり違う。そこが同性として疎ましいのか、ただの嫉妬か。