書き記すこと

『永久保存版』それらしきかたちの物もあれば、やや上等に創りあげた物もある。
けれど、いずれはやがて、消え行く。
書した者たちが居なくなっても、それは僅かの間でも残るかもしれない。
どんな刹那(いっしゅん)であったとしても。
だがそれが、いつまで続くだろうか。


同じように、『永久〜』という物がある。
それにどれだけの意味をもたせたいのだろうか。
信じたいのだ。宗教の、信仰のように。
己が存在した証を。


永久は決して無限大()ではない。
けれど、人類(ヒト)にとって、やはりそれは永久なのかもしれない。人間が創りあげた概念だから。
今、自分が書いていることはやがてオンライン上からも姿を消すだろう。
自分の(なか)にどれだけ留まるかは知れないが。
もしかしたら、そちらの方が短い間かもしれない。
そうも思う。
移りゆく時。
変化する考え。
それでも自分は、そのときその時(おも)っていることを文字として羅列させていく。
公開している以上、誰かに読まれたいのか。
そして、誰かに何かを感じ取ってもらいたいのか、その傲慢さに自分自身呆れかえる。


だが書く。
傲慢は許された罪なのだと、信じたいから。
それがどんな貧相(ちゃち)な物語でも。
その貧相を、傲慢を(いと)おしいとも想う。


それが自分自身の想うことだから。
自己満足だからこそ。


こういう文章は、本家サイト向きっぽいな。いつか移動しようか。