等価交換、それなりの代価は頂きますよ

『等価』と『それなり』の間には、大きな差があるように思えるが、
実際さてどれくらいあるのだろう。
『等価』とは、交換する人々の間の価値の間に『それなり』の了承があり、『ある程度』同等の価値を揺することを前提としている。
これはかなり傲慢な理論だ。
ある人にとって大切な物が、燃えるゴミより価値のない場合もあるし、さらに始末の悪いことに、リサイクルできない巨大な不燃物である場合もある。
かつて、物々交換より始まって、現在では、それ自体どれだけ価値があるのかわからないけれど、その時代の共同体内には、迷わなくていいように通貨が存在する。
そして、商品の値段は、共同通貨で購入できるように価格が決められている。
経済のことは詳しくないので割愛するが、需要と供給によって決められた価格は、一体誰にとって、その金額と『等価』だといえるだろう。
ブランド物なんかは、それだけで値段が跳ね上がる。
まあ、購入する物も、それなりに『等価』と認めるからこそ購入するのだろうが。


ブランドに惑わされるのではなく、本当に必要なもの、有用なものを見極めなければならない。
これもまた難しい。
『ブランド』が『ブランド』として、ある種の世界観を持つ者の中では、『価値』として認められるのだから。


それ故自分はブランド物を嫌悪するのかもしれない。
そして、それを多大な金を払って蒐集する者(コレクター)達を。
大きく金に困っているわけではないが、余裕はないので。
自分の本の蒐集癖も、まあ、親からは馬鹿だとは言われて入るが。