話題として少し古くなるのだが、今年一時期『種無し枇杷(ビワ)』のニュースをテレビでよく耳にした気がする。
自分の記憶なので、かなりあやふやなまま書き進むが、昔から、『種無し西瓜(イカ)』『種無し葡萄(ブドウ)』などさまざまな果物に失敗と成功を重ねながら研究されて来た。
例え成功した姿として出来上がったとしても、消費者の満足感を得られなければ、失敗と同じとは言わないが商品価値は無い。
『西瓜』は失敗例。『葡萄』は成功例だろう。
ただ、たまに『種無し葡萄』の中に種を見つけると妙に嬉しかったりする。
『種無し』が主流となり『種有り』の方が珍しいものとなると、わざわざ冠として『種無し』とつけなくなる。温州蜜柑等はそうではないだろうか。
そうすると、それがもう既に“当たり前”となるのだ。
魚が切り身で泳いでいると思いちがいをしている子供がいるように。

自分に興味があるのは『種無し枇杷』が成功したか如何ではなく、ニュースで『種無し〜』『種無し〜』と連発されていたことである。
これを聞いて、傷付いている人間がいるのではないかと勘ぐるのは、気にしすぎであろうか。