大事は小事、小事は大事

新聞は毎日のように発行される。それだけかかれることが存在するのだ。
事件、評論、投稿記事、三面記事、スポーツ面、テレビ欄。
テレビをつけても、必ず定時のニュースがあり、何らかが放送される。
祝福ごと、レポート、天気予報。
一体、どれだけの人が、どれだけの物事に興味を持っているのだろうか。
人類の未来(あるのかは知らないが)を予測して語られる、多くの問題たち。
例えば、それは、世界人口の爆発、食糧危機の問題であり、日本人口の減少(少子高齢化)であり、森林伐採による二酸化炭素増加、排気ガス等窒素酸化物による地球温暖化の問題であり、やってくるかもしてない氷河期の問題、である。
もっと小さい(?)視点で見てみれば、ひきこもりの増加、フリーターの増加、まあ、取り上げればきりがないだろう。
自分は、一体どんなことに興味を持っている(過去持っていた)のだろうか。
討論会(フォーラム)が開催され、興味を少なからず持つ人々が、傍聴し、意見を取り交わす。
そして、まだこのことに、興味を持っていない(あるいは全く興味がない)人々に向けて、その問題に取り組もうと訴えかける。
集うのは、興味を持ちそうな人たちばかりであり、例え、訴えかけられたところで、こう書いては失礼かもしれないが(なら書くな)どうでもいいことは、「お前ら、勝手にやっておけ」ともなりかねない。
「だって、俺が興味があることには、お前らどうでもいいだろ」と。

ええっと、そういう事が言いたかったのではなくて、某(というか殆ど?)のティッシュ配りをして、来店する人の確率と、感化される人の確率は、どれくらい違うのかと思っただけ。