毒了本

生きづらい<私>たち (講談社現代新書)

生きづらい<私>たち (講談社現代新書)

嘗て“滅私奉公”という言葉があった。恐らく今もどこかの片隅でなりを潜めているだろう。ある場所では今尚堂々と語られているかもしれない。以前は美談のように思えたこの言語もなにやら妖し気である。“滅私”することを望みながら、個性個性と騒ぎ立て、かと思ったら協調性がないと睨まれる。
以上は上記の本で語られている事ではないが、無関係でもないだろう。
“自分の居場所が無い”“本当の私じゃない”“ぽっかり空洞の開いた中身の無い自分”我を押し通したくても、その“我”が解らない。仕事場で厭な客にも心の中では毒づいて、笑顔を演じる自分。それでも、演じている自分も自分。周りに合わせていて演じている自分も自分。最後には、認知療法についても述べられているが、自分の場合では、多分自分の認知は訳もなく歪んでいるのだろうが、その訳のなさ以上のところに進めなければ、やはり行きどまってしまう。
本文中で語られるケースも、ああ、こんな人もいるんだ。それくらいの気持ちの軽さで読んだほうがいい。
処方は難しい。同じような症状でも、それぞれに対応するのは。やはり手探り足探りでやっていくしかないようだ。