毒了本

冒頭部では我目を疑った。これが氏の本であろうかと。文学的にでも移行したのか。時代的にも現在とはかなり差を見せる。その“時”はかの自分を魅了した本たちを生み出そうとしている“時”を想起しているのだからそれもそうのはずだ。ただ表記の仕方は丸く、毒を撒き散らす所が見当たらない。適応的人間の記録に過ぎない。
中盤もは家族(特に息子)  中島氏にそれらが存在する事さえ、他の本からは知ってはいても想像もできないものなのに  のいわゆる“フツー”に親バカやってる様で、その行動力(いや、かなり行動的なのは他著で知ってはいたが)は、私生活(中島氏からみれば全てを含め私生活なのだが)にまで渡っているとは。
新書としてこれだけを読んでも、まず殆ど何も得られないような気がする。前著『ウィーンの愛憎』があるからこれがそのごとして許される範囲なのだろうか。
“続”と名のつくものから読み始める者はおそらくいないだろうが、その偏屈ぶり(誉め言葉)はこの本では満足できない。中島氏の本を網羅しようというなら別だが。