気がつけばここに

無意識で歩いてきた道。不意に我に返ると、列車を降りて家までの道後半まで差し掛かっていた。どこまで意識があっただろうか。所々思い出せる場面はある。今日は寝坊をしておにぎりに齧り付きながら洋服を着替えた事だとか、(残念ながら食パンをかじりながら玄関を飛び出していったりはしなかった。何故なら我が家の朝の主食はパンではなく、純日本的なものに幾割か差し引いた御飯に味噌汁のみだということだろう。)いつも通り  これはおそらくなのだが  大きな失敗もせず済んだということだけだ。
代わり映えのない  あったらそう呼ばないのだが  ルーティンワーク。全く同じことを繰り返している訳ではないのだが、それが今日のことだったのか、昨日のことだったのか、ひょっとしたら一週間前のことだったのか。ちょっとしたミスさえもその日常の中に組み込まれてしまっている。小さなミスが大きなミスに繋がる。そんなことは言われなくとも解っているつもりなのだが、流れ作業は所詮流れ作業。相手にせよ自分にせよ大損失を今のところまだ被ってないからこそなのか、仕事中でも意識が飛んでしまっていることがある。たまに引き戻そうとすることによって、何か効果を得ているのだろうか。ミスを指摘されることはよくあることだ。指摘することさえ上司は「またいつものコイツか」とことあるごとにしてくるわけではないから、多分指摘されている回数の数倍あるのかもしれない。こんなことさえ、数年しているうちに代わり映えない日常に組み込まれてしまっている。
非日常を求めているのかと言えばそうでもあるようで、そんなことがあっても困るといったところ。
考えることを止めては駄目だ。そう思いながらも浮遊した脳味噌では適わない。思考すればする程悪循環に陥る時だけ、グルグルと考え込んでしまっている。全てが、自己完結。誰かが言った。「お前、頭ん中、ハツカネズミになってないか」と。まさにそんな状況。そんな時は、外からの声は聞えない。
それでも、本体も、考える脳(本当に脳が考えているかはまた別の話)ここにある。そう、気がつけばいつもここに。